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一の場所から あらたしコトバ

 一昨日、電車を降りたら 突然の大降りのにわか雨。雨雲のまだら模様の隙間に 青空が顔を覗かせていたので、しばらくホームのベンチで雨が止むのを待つことにしました。夏の無防備な素肌に 地上を激しく叩く雨の音が響きます。充満する雨の音と匂いに包まれて、天から注がれる水の流れを眺めるーーー。こんなふうに 雨が止むのを待つのは、随分と久しぶりのことです。
 ただただ雨の世界に身を浸していると、ふと、雨音のすきま に入り込んでいくような感覚になりました。それは、ピーカンに晴れた真夏の午後 濃い陰影のすきまに滑り込み 時空が止まる、その感じととても似ています。そんなことを思っていたら、雨音やいま自分が出逢っている景色…つまりはこの世の現象…が ザルの網目のようなものに姿を変え、私が その隙間から網目をくぐり抜けていくイメージが浮かんできました。

 そのザルは 仏教でいう縁起の編み目の世界のようでもあり…

 ふと、15年以上前に読んだ、「呼吸のすきまを見る」という あるグルの言葉を思い出しました。あぁ、彼が言っていたのは このことなのかな。でも、一昨日の私は、「すきまを見」ていたのではなく、「すきまに居」たのでした。

 そして昨日、前日の出来事を思い返していたら、やはり15年ほど前の体験が ありありと蘇ってきました。それは何かのワークショップでのこと。自分の内側に深く入って その深いところから出てきた疑問を(次のワークショップの時に)持ってきてください、という課題が与えられました。その晩、私は、自分の内側に意識を向けて どんどん深く 深く、より奥へ 奥へ、意識を向けて行き、これがいまの自分が行ける最も深いところだと思える状態で そこから湧いてくる疑問を探そうとしました。ところが、そこには なんの疑問もなかったのです。疑問も不安もなく ただ安らぎだけがあったのです。次のワークショップの時にそのことを告げると、指南役の女性からは「深いところに行くと疑問がなくなります。その手前で留めておいてください」との返答がありました。
 あのときの“疑問も不安もなく ただ安らぎだけがあった”状態は、一昨日の“すきまに居た”状態と とてもよく似ています。

 現象と現象のあわいに身を置き
 その場所から世界を観て 世界にかかわっていく

 そこからは…
 ここからは、いったいどんなふうに世界が観えるのだろう。
 どんなふうに 私は、世界は、動いていくのだろう。



# by himekoto | 2020-09-08 11:52

アマテラスのコトバ

 私の願いはこの神が、今度こそ、誕生した時の素朴で大らかな太陽神に戻って、少し頼りないところはあるが、あくまで平和の女神として、偏狭なナショナリズムなどに振りまわされずに、彼女の好きなどこまでも続く広い海と広い空を住居に、豊かな生命の輝きを見守る神としてあり続けてほしいということである。
 (『アマテラスの誕生 ーー古代王権の源流を探る』溝口睦子著 P.232)


 私は、“「私たちが今このように生きている」ことの源流”というものに 分野を問わず関心を持っていて、その一つに日本社会の成り立ちがあります。なかでも、早期縄文時代や旧石器時代の人たちや社会のありようについて そして そこから現在に続く天皇制が生まれるまでのいきさつについては 非常に興味がそそられます。しかし、その最も心惹かれる時代について残された同時代の資料は今のところ存在せず、後世の資料や伝承そして考古学の知見から慎重に洞察していかなければならないわけですが、専門に研究するほどの才と情熱を持ち合わせていないがために、折々の散読したものから お気楽な素人として勝手に想像を膨らませているのが実情です。
 さて。冒頭に挙げた『アマテラスの誕生』も そんなふうに散読したものの一冊。「あとがき」で上掲の引用部分を読んだとき、ある思いがふつふつと湧き上がってきたのでした。

 「アマテラス」という存在は、日本列島の最初期先住民としての海洋縄文民的な人たちが(神武から始まる体制に到るまでに)辿った経緯を象徴していると同時に、その者たちと連なるであろう「ヒルコ」や「淡島」そして大陸勢力に対処するため取り入れた神話構造のなかで設定した「アメノミナカヌシ」に仮託したと思われる“列島から去っていったand/or列島での定住をやめた者たち”をも含めた 日本列島における社会の礎を築いた者たちが、願い目指していた人と社会のありようが、そのコトバに込められているのではないだろうか、と。

 これまで アマテラスは、統一国家を牽引するための存在として また ある人間集団をまとめる存在として、あまねく照らす主体として捉えられてきました。そこからご加護を賜るありがたき存在。そういうものの捉え方は日本列島に特有というわけではなく、概ねこれまでのヒトの社会が採用してきたものと言えます。
 しかし、果たして、アマテラスというコトバは そういうことだけをあらわしているのか? いや、そうじゃないんじゃないか。そんなことを ふと 思ったわけです。

 日本語には主客が判然としない言葉や使い方がありますが、そういう立ち位置から眺めてみると、アマテラスというコトバは また違った様相をみせてくれます。
 あま[=天、海]が照らす、もの。
 世界のあまたが照らす、もの。
 アマテラスという言葉があらわしているコトバは、「あまてらす」主体ではなく客体、と捉えることもできるのです。いえ、もっと言うなら、「あまてらす」主客の相互作用が織りなす状態、主客を分離しないで捉えた「あまてらす」状態、をあらわしている、とみることができます。

 溝口さんは冒頭の書のなかで「古代日本では究極者は形象化されていない」と記しており、その参照文献として自身の論文「名づけられていない神ーー日本古代における究極者の観念」を挙げています。その論文を読んでいないので彼女が言わんとしている実際のところはわからないのですが、私には 河合隼雄さん言うところの「中空構造」とつながるように感じられるのです。そして、溝口さんや河合さんの考察とぴったり一致はしないかもしれないけれど[*袖ぐらいは触れ合っているのでないかなとは思っていますが]、古代日本列島の人たちは、世界をすべているもの…世界の全容は ヒトには捉えられない、と認識していたのではないかと、私はみています。だから 語りたくても語れないし あらわしたくてもあらわせない。自分たちの存在のど真ん中は「空」「虚」とでしか認識できない。私は、「究極者」(あるいは究極者的なもの)という概念すらなかったのではないかと思っています。捉えられないのですから そのありようをイメージすることもできない…というか しなかったのではないでしょうか。[*実際のところ、どれだけ数学理論や科学技術が発展しようと、私たちはヒトが備えているセンサーが感知するものしか捉えられないし、体を拡張したり抽象化した道具によって感知できるものしか捉えることができません。つまり、この世は この宇宙は 穴だらけ、闇だらけ。そして、自分という存在もまた 穴だらけ、闇だらけ、なのです。]
 また、往時の人たちは、現在の私たちが用いている“(ものごとを)固定し静止させるコトバ”とはまったく違った、“動きつづける その動きそのものや動的平衡するゆらぎのある状態をあらわすコトバ”を用いていたのではないかと、考えています。いま私たちが使っているのとほとんど同じ言葉でもって…。
 余談ながら、私には、認識を固定し息苦しい社会をつくっている元凶として言葉に嫌気を覚え 言語表現を避けていた時期があったのですが、コトバの音 そして それがもたらす体感…いや逆ですね、声や言葉を発するときの“体(が世界に関わる)感(じ)”から言葉を“(ヒトがまわりの世界と作用しあい動的平衡をもたらすモノコトが生じる場という)コトバ”として見直したとき、かつてこれほど物事を固定するものはないと思っていた(日本語の)名詞が 突如として 活き活きと流れる動きを内包し表現しているコトバとして立ちあがってきたのでした。名詞は、動詞によってあらわされる作用がもたらす動きを そのままあらわそうとしたコトバ、に思えるようになったのです。言葉は、(世界から取り出され区切られた)あるコトバをあらわしているけれど、そのコトバは開かれていて 動きつづけていて 世界と交わりつづけていて、コトバは内在する動きを介して 捉えられない領域へとつながっている。そして、コトバは その一部が声となり(体と世界が交わり) 声の一部が言葉となって(体と意識と世界が交わって)いるーー。

 …というようなことから、アマテラスというコトバはを捉えたとき、
 隠れた岩屋から騙されたふりをして出てきたアマテラスは、(当時の世界情勢から要請された一元化のための)世界をあまねく照らすありがたき存在を現在まで演じているものの、稗田阿礼や太安万侶らが自らの出自として認識しあるいはそこへ連なるであろう日本列島古層の世界観に根ざした “ヒトが感知できない領域も含めたあまたから照らされるものとしての自覚から生きるものたちが あまたからの協力を得ることで 自らのまわりのあまたを照らす”人たちの社会、という目指す先としてのアマテラスがあり、いつになるかわからないものの いつの日か この列島に暮らす人たち一人一人が本来のアマテラスとして生きて欲しい、そうやって生きられる社会をつくってほしい、という意思や願いや希望が込められているように思えてならないのです。

 そう考えると、これからのアマテラスは、皇祖神ではなく皇祖心/皇祖信であり、日本国民をうつす(鏡のような)コトバとして在る。そんな姿が浮かんできます。

 照らされ 照らす
 賜り 賜う
 日の本の御子
 へと
 古より贈られつづけてきたコトバ

 アマテラス




# by himekoto | 2020-05-06 16:23

ちいさな はる

Nさん

庭の沈丁花の蕾が 随分と濃いピンクに染まってきました。
四季咲き性のアカシアの原種の 金平糖みたいな花の黄色が
Nさんからいただいた葉書のお星さま(*あれ、Nさんが描いたものですか?)みたいで
風に揺れています。
塀に絡みついた(たぶん)仙人草の葉っぱに カマキリの卵がくっついていて
桜の頃に小さなカマキリたちがわらわら出てくるのを 楽しみにしています。

「夏休み」を経た「春休み」のお手紙を見ていたら
特になんということもないのだけれど メールを書きたくなりました。

湯浅譲二さんと川田順造さんの対談本を読んで興味を持った「木遣唄」。
それを聴いているときの 体の状態にある気づきがあって、
そこを追っていったら
東北弁や
ブリヤード共和国の唄や言葉や
バカ族の唄や言葉やウォータードラムといった
往往にして辺境に位置づけられる人たちが発する音(=声、言葉、音楽)へと広がっていき、
その体感は 自分が表現したものに対する評価みたいなものにもなってきて、
さらには 少し前に読んだ『ピダハン』というアマゾンの民の言語表現になんかにも
絡まってきて、
…というのが このところの私です(笑)。

気が向いた時にでも
はじめたお仕事のこととか つくっている本のこととか それとは違うことでも
お話聞かせてください。

T


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# by himekoto | 2020-02-06 17:11

分かり合えない、から こそ。

 ここ数年 コーヒーをよく飲むようになりました。
 きっかけは 市内にできたコーヒー屋さん。
 苦さがキツイ印象しかなかったコーヒーが 豆の品種や作り手や煎り手や淹れ手によって こんなにも繊細で多様で複雑で楽しいものになるのだと知り、その魅力にすっかりハマってしまいました。今では 朝食時にコーヒーを淹れることが日常化しています。それでも寒くなると 白湯や紅茶を好むようになるのですが、今季は暖冬ということもあってか 年が変わって白湯だけの日は増えてきていますが まだ紅茶への移行期にはなっていません。かつてコーヒーをまったく受けつけなかった時期があることを思うと、ヒトの嗜好の移り変わりというのは つくづく面白い。
 そのコーヒー屋さんでの楽しみの一つは、自宅用に買うには手が出せないけど店内で飲む分には“ちょっとした贅沢”として許容できる そのときの最高評価の豆を味わうことです。昨年のある秋の日も そんな贅沢を味わいにお店へ足を運びました。飲んだのは、ホンジュラスの品評会で1位になった豆。説明には、「ジャスミン、ベルガモット、ピーチ、マスカットの風味。」「とっても甘く長い余韻。」「花束を思わせる華やかな味わい。」という魅力的な言葉が並んでいます。片や、対応してくれた店員さんは「味が複雑すぎて 捉えきれなかったです」とおっしゃいます。
 確かに複雑な味でした。
 最初の高い温度帯のときは 明るい酸の奥にお煎餅の味を感じ、次第に冷めていく過程では 自然派ワインの醸したような香りが、そして ある程度冷めて落ち着いた頃には なんと柴漬けの味がしたのです。
 ものの味わいやヒトの味覚というものは とても繊細で、気候や体調や気分に大きく左右されますし、人によって 淹れ方によっても 変わります。この秋に高知へ行ったとき入ったコーヒー屋さんのオーナー曰く、「同じ豆、同じ水、同じ場所、同じ時、同じ道具で淹れても 淹れた人によって味がはっきりと違うんです」とのこと。
 その日の私の体調もあったでしょう。その日の気候や淹れ方にも拠るところがあったでしょう。また、ホンジュラスの気候と私の住んでいる地域の(その日の)気候の違いが 評価を大きく左右したのかもしれません。おもしろいコーヒーを味わえた経験として その一杯に満足はしましたが、たとえこの豆にリーズナブルな値段がついていたとしても 私は買わないなぁと思いつつ、ヒトの感覚の多様さに改めて思いを馳せ、果たして あらゆる人に共通する味わいや味の評価というものはあり得るのだろうか と考えたのでした。

 この11月からNHKで始まった「食」をテーマにしたシリーズ番組。その1回目の「ご飯」の回で、デンプンを多く食べる日本人は デンプンを糖に分解するアミラーゼをつくる「アミラーゼ遺伝子」が あまりデンプンを食べない人たちより多く、唾液中のアミラーゼ酵素が多いためデンプンを食べた時に甘みを感じやすい、という研究結果が紹介されていました。日本人にとって欧米のスイーツが甘すぎるのは、たぶんアミラーゼ遺伝子が多いから。「甘くて美味しい」という感覚は、そんな遺伝子にも左右されるのですね。
 腸内細菌も人によって異なり また体がいま現在必要とするものを「おいしい」と感じることを考えるなら、同じ体内環境を持つヒトは存在しないのですから、厳密には すべての人がおいしいと感じるものはない、ということになります。
 もしも あらゆるヒトに共通して感じられ共有できるものがあるとするなら、それは食材や料理が持つ「生命力」のようなものではないでしょうか。
 また これらのことは 、味覚に限らずあらゆることについて言えるように思えます。
 同じ体(の働きや内外の環境)を持ったヒトは存在しない ということは、同じ認知や感覚を持ったヒトは存在しない、ことを意味します。とするなら、「ある情報を正確に他者へ伝達する」ということも本質的には不可能、ということにならないでしょうか。【*「DNAのコピーミス」が(ヒトの)生命の仕組みに組み込まれていることが思い起こされます。】
 いやいや、数学は極めて抽象性が高いので 個々人の認知の違いというような具象の差異など関係なく すべてのヒトに唯一の情報を提供することができる。とおっしゃるかもしれません。確かに、数学は ヒトという生物の認知を可能な限り最大限一般化して抽出したもの、と捉えることができますし、ヒトが現在手にしている様々な伝達手段のなかで もっとも伝達内容にブレが少ないものだと思います。ですから、数学がその守備範囲としてきた部分においては(かなり)正確に情報を伝えることができるでしょう。その特性に拠って 私たちは 宇宙の始まりのような再現不能なものことの輪郭までも描けるようになりました。しかし、扱いにくいからと数学などの科学や学問が守備範囲から除外してきた認知領域をも含めて 全体としてヒトの認知は存在しているわけです。【*注1】 ですから(少なくとも現在の)数学がヒトの認知を反映しているとは言い難く、数学領域の情報が 送り手と受け手において(それぞれの体が異なるがゆえに)数学領域外の認知の要素とどのように作用し合うか…すなわち 数学が扱う情報が個々のヒトの場においてどのように存在しまた再現されるのか については関与できないがために、「数学領域における同じ情報」でさえ あらゆるヒトに同じように理解される、ということは 厳密にはありえないのではないか、と私は考えています。
 (「数によってモノコトの関係性を式であらわす」という限られた領域においても、掛け算の式を計算し答えを一つの数にまとめるという行ないにおいて 厳密には両辺は等しいものではなく、現在“イコール(=)”として表記される関係性は “等さ”をあらわすものではなく“対応可能である”ことをあらわしているに過ぎない、と捉えるのが適当ではないか と私は考えています。掛け算の式を答えとして一つの数に対応させる際、例えばn個のものを掛け合わせた場合に“1のn乗”分(の情報)が 数式から漏れ落ちている、ように思われるのです。)

 『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』によれば、アマゾンで狩猟採集を営んでいるピダハンと呼ばれる人たちには、数の概念がありません。宣教師としてその地に入り長年彼らと生活をともにしてきたその本の著者が 自分たちと取引をするブラジル商人たちから騙されたくないと考えたピダハンたちに頼まれて算数の授業を行なうのですが、彼らはとても熱心に学ぼうとするものの 最終的に その概念を身につけるのは無理だと判断し、授業は終わりを迎えました。著者はその理由を、ピダハンの言語や文化から類推し、「体験の直接性が重んじられる」ことに求めます。数という 物事を一般化して分類するという抽象化への操作においては、本来同じものではありえない体験や知識や情報の 私たちが一般化とか抽象化とか名付ける“同じ(と思われる)部分”だけを取り出し それを用いて世界を記述することが行なわれます。そういったものを ピダハンのように“全身が感じ取っている情報すべて”と照らし合わせるなら 明らかに何かが大きく欠けてしまっているわけで、そのことに居心地の悪さや気持ち悪さや不誠実さを覚えるのは 不思議なことではありません。それは ある意味では、生き物として いやヒトとして誠実である、とも言えます。【注2】


 わたしたちが算数の授業で初めのうちにしていたように、ある種の問題には一番ふさわしい回答というものがあると水を向けようものなら、いい顔はされず、話題を変えられてしまうかいらだちを示されるかのどちらかだ。
 このことを示す例をもっと考えてみると、ピダハンに紙を所望されて渡すと、「物語を書き記す」という事実に思い当たる。書かれているのは、まったく同じ円形の模様で、それが繰り返し出てくる。だが書いた人物はその物語をわたしに「読んで」聞かせてくれる。内容は、その日の出来事、病気の知り合いのことなどなどで、書かれた模様を読んでいるのだという。紙に模様を描いてそれを示しながらポルトガル語の数字を読み上げる者もいる。模様がどれも区別できないことも、書き方には正しい書き方と間違っている書き方があるということもまったく意に介さない。こちらがある記号を二回描いてくれと頼んでも、まったく同じ模様が描かれたためしはなかった。彼らは自分たちの模様も、わたしが用いる記号も同じようなものだと考えていた。授業では、かなり真剣に「教え」こまなければ真っ直ぐな線を引かせることができなかったし、さらに特訓しなければ、身についたと思った技能を繰り返させることもできなかった。これはひとつには、彼らが特訓をゲームのように考えて楽しんでいたためであり、ひとつには「正しい」線の描き方なるものは彼らにとって、まったく無縁の未知なる概念だったからだろう。

<『ピダハン』P.168-P.169>


 自然界においてはまったく同じことは起こりません。そんな自然との抜き差しならない関係のなかで生きているピダハンたちにとっては 「同じ」も「正しい」も 意味のないもっというなら現実的でない馬鹿げた概念、ということになるのでしょう。私たちが信じている「同じ」や「正しさ」は その「同じ」や「正しさ」が成立しうる限られた範囲における概念でしかないことを 忘れないでいたいものです。
 また、ピダハンの「物語を書き記す」そのありようは、記号とそれに対応するものとの捉え方や関係について、私たちに再考を促します。このことは 数学の再考にも繋がってくるもので、これからじっくり考えていきたいテーマです。

 「正しさ」という概念と 「一般化」や「抽象化」、そして「啓蒙」や「教化」には、共通するものがあります。
 私は“(内面(から湧き出るもの)を象るために)筆で線を描きたくなって”ある書の会に数年通っていたのですが、多分そういうことを指導している人の中では自由な考え方を持っていたであろう方の“指導”においてでさえ示される「正しい」線の描き方 「正しい」眼とか見方、というものに 息苦しさを覚え、昨年の春で一旦区切りをつけました。誰にでも読みやすく美しいと思われる文字を書くというような実用のための「(現代における)正しさ」というものはあり得るのでしょうが、自分の場に起こっているモノゴトをあらわすには「正しさ」とか「一般性」とか「普遍性」は必要ではなく、反対に得てしてそれらは邪魔になります。
 「抽象」という概念を “漠とした(不可知な)領域から浮かび上がってくるものを抽出して象る”こととして理解するなら、ヒトの体験の数だけ抽象は存在し、それは「一般化」とも当たり前ですが「簡略化」とも異なります。今しがた“「正しさ」と「抽象化」には共通するものがある”と書きましたが、両者の間には“共通化する”という地平/段階の隔たりがあります。ナニモノカを抽出し象る「抽象」は 人の数だけ種類があり、そんな多な抽象をつなぐものによって「正しさ」という概念が紡がれていくーーー。【注3】 ただ、私が見るかぎり、社会で語られる「正しさ」は、いま言ったような個々人から生まれる雑多な抽象に根ざしているわけではなく、限られた人たち[*支配者や聖職者や先進的であると自負している者たちなど、自らを他より優れていると捉えている人たち]の世界(観)and/orその抽象性が 他者へと押し広げられていて 合意や納得よりも(説得や説明という形式を踏んだとしてもその実質は)強制や無理強いに近いかたちをとっているように思われます。
 ホモ・サピエンス(の大多数)は 時代を超えて他者の経験を共有し活用することで 現在のような社会をつくることができました。ピダハンのように直接体験の範囲に留まっていたなら、現在の物質的な豊かさに留まらず自然や宇宙に対する知識も得ることができなかったでしょう。そういう意味で 直接体験していないモノコトの「正しさ」を判断するための様々な尺度があることは 望ましいと思っています。私が問題だと感じるのは、世に溢れている「正しさ」や「知識」を 文字通り(自らの)“身についていない”状態で利用することです。もちろん 現在のように複雑で専門化・高度化してしまった情報が溢れている社会において すべての知識を身につけるのは不可能です。大事なのは、自分が扱っている情報や知識がどこまで身についているのか どこまで全身で理解し納得できているか、を問い続け 見極めることなのだと思います。そのためには 「わからない」状態を耐える…できれば楽しむ心持ちが不可欠です。それともう一つ、脳は体の一臓器に過ぎないわけですから、放っておくと暴走しやすい脳(による理解や働き)を 全身の中に意識的に位置付け、留め、体を持った“全体”の生命体として そのペースで探求し 理解し 社会に関わっていく、ことが必要だと思うのです。
 ヒトが 扱いにくいモノコトを避け 分かりやすいモノコトに流されてしまうのは、ただでさえ大きい“(生存における)脳の負担”を軽くするのが主たる要因ではないか、と私は観ています。だからこそ、生物としていっときに受容できる異質性には限りがあるでしょうし、それゆえに 「多文化共生は素晴らしい」「多様性は素晴らしい」というような物言いに対しては、一般論やざっくりとした方向性/あり方としてはすんなり賛同できても、具体的に生物として生きる環境を考える際には 一定の限度のようなものは必要だと考えます。また、考えるということは全身活動なわけですから 体が健やかでいられる社会、が求められます。そして、冒頭に書いたように、個々人の体そしてその場を介して経験する世界はすべて異なり まったく同じ情報を共有することは不可能であることを考えるなら、私たちは「それぞれ」「異なっていて」「お互いに理解できない」というところから出発し、あるいはその地平に立って、それでも共有できるものを模索していく という腹づもりや覚悟が必要ではないか、と思うのです。

 「お互いを分かり合えないまま 一生を共にするなんて、なんだか分かり合えている間柄より かっこいい」
 作家の吉田修一さんの言葉を思い出します。

 相手のことは分からない。
 個々人の世界は すべてことなっている。
 情報は すべて 違って受け止められる。

 この「ヒトのことなり」ひいては「存在しているもののことなり」によって、世界に隙間や凸凹が生まれ ゆらぎが生まれます。それは 世界が動いている ということ。
 宇宙論においては この宇宙は微かなゆらぎから始まったという説がありますから、それが正しいとするなら 私たちは宇宙の始まりからのゆらぎをゆらぎとして生きている、と言えるのかも知れません。
 生物として受容できるゆらぎの中で そのゆらぎを止めることなく 生きていく。
 それがヒトという生き物が その持てる能力を発揮できる土壌ではないかと思うのですが、どうも社会は“体から切り離された”というよりは“(面倒なことは省き切り捨てることで)体から自らを切断し暴走を加速し続けている”脳が理解できるモノコトですべてを塗り込め 固め、少しでもブレや揺らぎがあると不安に駆られ 排除しようとする、傾向を強めているように感じます。
 神の領域に入ったと言われる生命科学の領域は、そんな脳の臆病さが裏返ってとてつもなく傲慢になっていく姿にダブります。
 たぶん、それほどまでに私たちの体はあちこちで分断され 硬直化してしまっている、ということなのでしょう。

 4年前の「すべてかがやく」という記事の中では 「引き出す」ことを好ましいものとして書きました。しかし、「引き出す」ということは 引き出そうとする人の世界を相手に押し付ける という側面があることも否定できません。もちろん、人は関係性の中で生きているわけですし 可能性は他者を介してひらくとも言えるわけです。だからこそ、人への関わり方について 特に影響を与えうるような立場の人は、常に顧み 内包される危うさを限りなく自覚しておく必要があります。
 理想は 「引き出す」よりも「大地を耕す」とか「相手の未知なる可能性がひらいていくような土壌づくり」という在り方なのでしょう。
 まわりの人も本人も気づいていない可能性が花開く。
 闇から可能性がひらいてくる。
 想像するだけでワクワクしてきます。

 …と、
 本稿を書き終えた後、録画していた「プロフェッショナル 仕事の流儀」を観ていたら、取り上げられていた数学教師・井本陽久さんが 私が言いたかったことを 実体験と実践にもとづく説得力のある言葉で語ってらっしゃいました。


 正解か不正解か。
 そこで評価するのはあんまり意味が無い、というふうに思いますね。
 学校でつける評価っていうのは
 求めた答えを出せるかどうかってことなので
 それを正確に再現する力はつくかもしれないけど
 別の たとえば壁がボーンと立ちはだかったときに
 自分でどうにかするってことはできないですよね。
 試行錯誤を知らなければ。


 たとえば、将来…未来の社会っていうのは、
 社会っていうのが先にあるんじゃなくて
 彼らが将来暮らしている… 彼ら自身が社会じゃないですか。
 社会がこうだから彼らを…って、めっちゃあべこべですよね。
 もう 息苦しくないですか、それ。
 変ですよね。


 われわれが ありのままを認めていれば、
 その子が将来必要になるようなものなんて身につくと思うんですよ。
 伸びるというか 伸びていく、ですね。
 勝手に子どもたちが伸びていく。
 どこに行くのか分からないけど。
 伸びていくのは彼ら自身だし
 どの方向に行くのかは誰も分からないし 彼らも分からないかもしれない。
 でも、それを信頼して見守っていく。
 子どもって全然信用していいんですよね。
 本当に信じて 彼らの考えるように やるようにやったら
 こんな生き生きするんですもん。


 井本さんは子どもについて語っていますが、これって 子どもだけでなく いま生きているすべての人に言えることだと思います。







【注1】
 現在私たちが手にしている(普遍的だと信じている)表記法は 限られた範囲においてのみ有効である、ということは、次のような話からも理解できます。


川田 アフリカの言語にはンから始まる語が随分ありますね。(略)
   日本語でも、東北では「んだ」と言いますね。(略)ぼくの友達のアイヌ語の第一人者の中川裕は、縄文時代には日本列島の大部分がアイヌ語かアイヌ語の祖語にあたるような言葉を話していたんじゃないかと言っています。あとで弥生系のやまとことばが入ってきた。もちろんアイヌ文化とかアイヌ語は古いまま残っているわけではなくて、東シベリヤの影響も受けて十四世紀ごろから形成されたわけだけれども、それの祖語みたいなものが東北には強く残っているんじゃないか。ぼくも東北で昔話の採録をやって感じましたが、今の仮名文字では東北の昔話は書けない。東京言葉も書けない。
   浅草の花川戸の桶田彌三郎さんという、もう亡くなりましたけれども、きれいな東京下町言葉を話す鳶の頭がいて、あとで調べたら、国語学のほうでも重要なインフォーマントにされていたみたいです。小学校は行っているから、その限りでは文字教育の汚染は受けているんだけれど、それでも標準語化されていない、軽く鼻に抜ける素晴らしい言葉を話していました。その人のお話の録音を、わたくしは学生時代オープンリールでずいぶんたくさん録ったんです。前に外語大にいたころに国語学の人がわたくしのことを聞いて、テープ起こしをやりたいと言って、二人でテープ起こしをしたんですけど、できない。
   つまり猛烈に複雑な発音記号で書けば別でしょうけど、仮名で書くのは無理。話の内容を概念化して、何の話かを捉えていけば書けることは書けます。だけど、書いたものをもう一回読んだら、元の桶田さんの話とは似ても似つかないものになる。それ以来ぼくは仮名文字というのは奈良や京都や近畿の方の間延びした、子音と母音の組み合わされた構造がはっきりしているような言語の中で形成された文字だから、そうなんだろうと思うようになったんです。だから仮名文字では、東京言葉も書けない。

 湯浅 東北弁もあいうえおではない母音がいっぱいありますね。音楽でも同じようなことが言えるんです。ずいぶん長い間言ってきたんですけど、たとえば、日本の伝統音楽あるいは民謡を五線譜で書くと、いまおっしゃったことと同じになるんです。ですから小学校教育なんかで五線で書いて日本の音楽も教えますなんて、大嘘だと思うんですね。五線に書いたら微妙なところを全部とっぱらいますが、実は微妙なところの方が日本的な特性を持っているわけです。それを洋楽化した形で五線に書いてしまうというのは本当に換骨奪胎にさえならない。骨さえ残らない(笑)。

<『人間にとっての 音↔︎ことば↔︎文化』P.150-P.151>



[2020/02/20追記]
 別のものに変換した/対応させた時点で それは元のものの一部でしかない、ということなのでしょう。


 人と人とのコミュニケーションーー実はわたしはコミュニケーションという単語はあまり使わずに、「伝え合い」と呼んでいるんですがーーを考えるとき、みんな、「ことば」というものに比重を置きすぎています。残念ながら、わたし達日本人はみんな文字に囲まれて育ち、勉強というものもほとんど書物を通して成り立ってきているからなんですね。
 教科書はどれも日本語という言語で書かれているし、授業も当然、先生がもっぱらことばで教えるというスタイルになってしまっているので、どうしても「すべてはことばで」という発想になってしまうのでしょう。
 ところが、日常全体として見れば、実はことばはたいしたことがない、というくらい、みんなが驚くほど、伝え合いでことばが占める割合は小さいんです。
 では、人間はどういう形で伝え合いをしているかと言うと、わたしが「伝え合いの七要素」と呼んでいるものがあります。本当は七つだけとは限らないのですが、一応、基本的には七つで十分だと思います。人間は現場での伝え合い、すなわち新聞、雑誌などでの間接的コミュニケーションを除く生[なま]の伝え合いでは、それら七つの要素を同時に使い分けているのです。
 その伝え合いの七要素を、思いつくままの順番で挙げていきますと、あとで詳しく話すことになる「ことば」、当人たちの身体や性格面での「人物特徴」、顔の表情の変化や視線の動きを含む「体の動き」、それから伝え合いをしている人物がいる周辺環境としての「場の問題」、直接的な接触によるものや顔色の変化などに見られる「生理的反応」、お互いの距離、当人たちが占めているスペース、そのときの時刻、伝え合いの内容を表現するためにかかる時間などの「空間と時間」、当人たちの社会生活上での地位や立場といった「人物の社会的背景」とでもなるでしょうか。
 この七つの要素の話で大事なことは、一つ一つの要素が互いに溶け合っているということです。溶け合っているわけですから、その要素の中の一つだけを独立させて伝え合いを行うことはありえないということなんです。ここが多くの人が勘違いをしている点です。ことばで教育を受け、言語で論理を展開する習慣がすっかり身についてしまっているので、ことばだけで物事が通じると思っている人がいるんですね。
 ことばだけで伝え合いができると思い込んでしまったために、伝え合いの中のことば以外の要素が話題になると、カタカナで「ノンバーバル・コミュニケーション」と言ったり、漢字で「非言語コミュニケーション」と言ったりすることになります。人間はことばだけではない、ジェスチャーもあれば、体の動きもあれば、表情だって変わると、そうやって他の要素を足していくわけですが、この場合も、ことば以外のものがあって、それらもまた一つ一つ独立して伝え合いを行うことができるという、そういう発想が頭にこびりついてしまっているんです。そして、その話も結局、いつの間にかことばが中心になってしまうのです。
 たとえば、今この場では、わたしは、やや一方的に話すということで伝え合いをしていますから、当然、伝え合いの中でことばが占めている割合は大きい。しかし、この場でも、体の動きや表情、わたしとあなた達との関係が持つ意味などが、ことばとは分離不可能なものとして溶け合って、意味を表現しています。
 また、現実の場と書物の場合とは区別して下さい。本の世界で言えば、たとえば対談というのは、現場ではとても面白い話をした人も、本になってしまうと途端につまらなくなるといったことがあります。当たり前のことですが、その人の表情、その人がその場で具体的にどんな格好をしていたか、その人の声がどうだったか、早口だったとか口調がゆっくりしていたとか、そういうところが文字になればみんな消えてしまうわけです。本の対談というのは、後で話題になると思いますが、「ことば」ではなくて「言語」作品です。印刷された「対談」は、「口語体の言語」となって、人々の目に入るのです。

<『「ことば」の課外授業 “ハダシの学者”の言語学1週間』P.122-P.125>




【注2】
 「明らかに何かが大きく欠けてしまっている」感覚は 言語の翻訳においても感じます。異なる言語においては その言語を育んだ文化的風土もその言語の発声によってもたらされる身体経験も異なり、その違いは翻訳という操作によって解消することはできないわけですから、当然のことなのでしょう。その欠落感は、翻訳という意味を伝えるというレベルだけではなく、異なる言語によって構築された思考や知識や知恵というレベルにおいても 感じられます。
 また、同じ言語内であっても 【注1】の引用の中で引き合いに出されているような「縄文時代の祖語」的源語と後から入ってきて国語化した「やまとことば」のような言語的な層があり、各言語層にともなう身体経験や文化や思考があるわけで、繊細にみていけば 各層間に発生するギャップや欠落感は解消されることなく存在しているのだと思います。
 そんな対応関係に収められないギャップや欠落感は 本文で言うところのゆらぎを生み出すものであり ヒトの可能性をひらいていく土壌でもあります。
 だからこそ、現在の(息苦しい/生き苦しい)社会を構築してきた主たる言語である英語以外の言語で思考することが 様々な問題解決の鍵であり、日本語においては 天皇制による社会づくりと不可分なやまとことば以前の祖語[*『古事記』におけるアメノミナカヌシやヒルコに相当する人たちの言語、ではないかと。もしかしたらそれ以前の人たちの言語かも。]の感覚を呼び起こし その広がりの中で思考していくのが大切だろうと 私は考えています。




【注3】
 抽象の「抽」を構成する「由」の字源は諸説あるようですが、その一つに“ある範囲から出ていく図形で、それにより「〜出ていく」ことを示した。”というものがあります。それに基づき、このサイトの主宰者は「由は何かの実体を表すのではなく、ある区画(日)から上方に縦棒(|)が抜け出る状況を示す象徴的符号と解したい。この意匠によって、「ある所・範囲を通って出てくる」「通り抜ける」というイメージを示す記号になりうる。」と記していて、この解釈に私はとても惹かれます。それはまさに、先に書いたような私が「抽象」というコトバに観ている景色と同じものだからです。そして、この概念・イメージは、ピダハン語のxibip𝒾𝒾o(イビピーオ)というコトバに繋がるものがあります。「最終的にわたしは、この言葉が表す概念を経験識閾と名づけた。知覚の範囲にちょうど入ってくる、もしくはそこから出ていく行為、つまり経験の境界線上にあるということだ。」(『ピダハン』P.184)。不可知の領域と可知の領域の境界に関わるコトバです。
 日本語なら何にあたるだろうと考えた結果、浮かんだのは「わる/wa-ru(/和流?)」。こちらにも書いたように「わ/WA」には “すべてに通底する(不可知の)領域から突如としてあらわれる”イメージを感じるからです。
 「由」に戻って「自由」という文字を考えると、不可知の領域から自らの場にあらわれるものを 自らの場を通じて外へ出していく/あらわす、というイメージが浮かんできて、「自由」という言葉がより深くより“自由”になってきます。




# by himekoto | 2020-01-14 15:54

ヒトの時間[とき]

ヒトは
120歳くらいまで
生きられるポテンシャルを持っている
という

12
といえば
一年だ

10年がひと月
1年が三日

ならば
いま わたしは
新緑まぶしき頃のヒト

   *

 2010年の6月に放送されたNHKの番組「南アフリカ 絶景を弾く アブドゥーラ・イブラヒム」。初めて眼にする名の人は わたしが大好きなジャズ作品「アフリカン・ピアノ」のダラー・ブラントでした。
 番組の終盤、2年前にカラハリ砂漠の入り口に800haの土地を購入し これからその場所で新しい活動を始めると語るイブラヒムは、(ウェブで検索したところによれば)当時75歳。「70代なんて赤ちゃん(か子ども)みたいなもの」というような彼の発言を 驚きをもって聞いていたのだけれど、「ヒトの120年」を「一年」のスパンでみれば 70歳代は7月。いま80代の半ばであるイブラヒムは“8月のヒト”で、アッツアッツの夏真っ盛り、ということになりますね。



# by himekoto | 2019-12-26 15:43